極限状態にある組織と人間おすすめ度
★★★★★
長年にわたる気象庁勤務と、登山家としての経験を持つ著者の新田次郎氏。
「強力伝」「富士山頂」など、山と人間の極限のせめぎあいを数多く描いてきたその筆力は、
この作品でもいかんなく発揮されている。
明治35年、目前に迫った日露戦争。ロシアの陸奥湾封鎖の想定のもと、八甲田山雪中行軍は行われた。
咆哮する風の音、重く沈む灰色の空と雪煙、骨まで凍らすような寒気。
小説を読み進めるうちに、第三十一聯隊および五聯隊の隊士たちとともに、
読者も白魔の世界に引きずり込まれるかのような迫力がある。
雪中の死の彷徨、あるものは発狂し、あるものは眠るように倒れ、追い詰められてゆく第五聯隊の極限の状況が、
背筋にジンと来るような緊張感を持って迫ってくる。
事実を元にした作品であるから、全体に記録文学的な筆致で構成されているが、完全な実録ではないことは知っておきたい。
士官の名は実名を窺わせながらも変更されているし、所々潤色も見られる。
実名と仮名が併記される場面などでは、やや読者を混乱させる面もある。
しかし新田氏の本作における目的は、事件を完全なドキュメンタリーに再現することではなかったはずだ。
本作で新田氏は、極限状態の中にある「組織」というものに注目している。
すなわち三十一聯隊と五聯隊の明暗や、死後も失われなかった序列である。
階級の差はそのまま死傷率の差、または祭祀料の差という、冷徹なまでの数字になって表れていた。
国家とは、組織とは、軍とは、戦争とは、人間とは、命とは何か。
この八甲田山死の彷徨を通じて、新田氏は読者に問いかけている。
人間の「脆さ」
おすすめ度 ★★★★★
新田次郎の代表作ということになろうかと思う。
僕は 映画を観た上で 本書を読んだと記憶している。映画は視覚に訴えられるので非常に説得的であった。吹雪という自然現象に翻弄されるシーンを見ていると 「人間」という「哺乳類」の「物理的な」脆さというものを思い知らされたものだ。
一方 原作は 違う視点からの人間の脆さを描き出している。
結論的に言うと 同じ気象下に二つの部隊がいて 片方は全滅し 片方は生き延びたという話である。二つの部隊の「分かれ目」を作ったのは 人間の判断の違いに他ならない。新田次郎は その点を淡々と描き出している。判断の失敗によって 滅びていくという人間の「脆さ」ということだ。
但し 滅びた神田部隊への 新田の眼差しには優しいものがある。新田の山岳を舞台にした諸作にも 山に敗れていく人間たちへの限りない共感と愛情を感じさせるものがあることを思い出した。
結局 かような眼差しが 新田次郎の文学の人気の源泉なのだろうと 今 思う。