リアルな「中間管理職」の苦渋!おすすめ度
★★★★★
新田次郎の原作を、力量充分なスタッフが見事に昇華させた作品。
史実では全く別個に実施された青森5聯隊と弘前31聯隊の雪中行軍に、両聯隊で競合して実施されたというフィクションを加味し、視覚的にわかりやすく対比させたことがテーマを明確にし、重みと深みを与えた。
(もちろん原作は、権威の維持にこだわる軍の非情さなども丁寧に描かれており、さらにテーマは深いのだが・・・)
ご承知のごとく、約30人という小隊編成の精鋭31聯隊が、事前に綿密な調査と準備を行ったうえ、専門家の力も借りて10数泊に及ぶ長期行程をほぼパーフェクトに踏破したケースとは好対照に、青森5聯隊は、先行する弘前31聯隊との行軍成果の釣り合いにとらわれ、調査不十分なまま、200人もの中隊編成で八寒地獄に突入する。
この様子は、例えば日露戦争という国難に際し、大胆なまでに軍の人事改革を断行した明治日本と、対米戦争という、わが国で想定しうる限り最も困難な戦争に際してさえも、年功序列の組織で戦おうとした昭和日本の差を象徴してはいないか?
思うに、役所や会社、あるいは町内会でもいいが、組織というものに属する人(ほとんどの人はそのはずだ)は、間違いなく、わかりやすい31聯隊の成功例よりも、苦悩多い5聯隊に感情移入するはずだ。それも、大きく、伝統ある組織に属す人ほど。
成功が保証された(と思われる)部下の功に食指を動かし、本来予定になかった大隊本部の随行を急に提案したり、行軍隊の指揮命令系統を無視して横から号令を下し、あるいは外部案内人の採用を、独断ではねつけるような、横暴で、指揮能力に欠ける大隊長(上司)は、世間では珍しくない。
もし自分が北大路扮する神田大尉であれば、どう対処するか?
これは難しい。
中途半端な時点で、大隊長の指揮権介入を批判し、自らのリーダーシップで部下の半数を生還させても、絶対に責任問題は免れない。
私はこの場合、上司ににらまれるのを承知で、隊の編成段階ではねつけるのが最良で、初日のビバークの際、夜半の出発命令で犠牲者が出た機をとらえ、大隊長の指揮権介入に対する非を鳴らすのが、最後のチャンスだったと思うが、いずれにしても、軍という組織での出世は放棄せざるを得ないだろう。無能な上司とは、ある意味天災のようなものだ。
課長、係長職にある身なら、細君と一緒に観て、「どうすべきか」を語らえば、宮仕えの苦悩も、多少は理解してもらえるかも知れない。
指揮論を超える雪山への畏敬おすすめ度
★★★★★
新田次郎著の「八甲田山死の彷徨」は、長らく我が社の指定必読書だった。そこにはリーダー論が語られているからだ。映画も同様で、指揮官はどうあるべきかを明確に示している。しかし、30年以上もたった今日、原作を読み直してみると、むしろ新田次郎の「雪山に対する畏敬の念」が浮かび上がってくる。それは恐怖、あこがれ、尊敬といったものが入り交じったモノだ。新田次郎の墓(分骨)は、スイスのアイガー北壁が一望できるクライネ・シャイデックにある。彼の目は人間の判断の正しさや間違い、生と死の分かれ目を遙かに超越したものを見ていたことがよく解る。
俯瞰で見ることの大切さおすすめ度
★★★★★
「物事は俯瞰で見ること」、「大局的に見ること」とはよく言ったものだが、実際に自分が現場の当事者や一員になってみるとなかなか難しい。しかし、ここでは物語を「神の視点」で見ることが出来るので、随所で「そこは違うだろう!」、「ああ、引き返せと言うのに!」と突っ込み所満載である。
この物語はよく企業のリーダー論に比喩されるが、確かに現場のリーダーの采配で、2つのグループの運命が分かれてしまったことは否めない。しかし、ここで頭の片隅に置いて頂きたいのは、この時代はまだ武家社会の価値観が色濃く残っていたということである。村人の反対を押しきって出発したが、途中で間違いであることに気が付いた→しかしおめおめと引き返したでは恥をかく。武家社会においては「恥をかくこと」=「死に値すること」であり、最も忌み嫌われた。この価値観が、当時のリーダーたちの根底に根付いていたのではないか。とすると、現代人の感覚で当時のリーダーたちの資質を単純に色分けして終わるだけでは、この物語の心髄にはまだ触れていないと思う。
その時代の価値観(常識)に囚われず、もっと大きな視点(それこそ神の視点)で、人間とは何か?自然と共存することの意味は?と読み解いていくと、この物語が示唆するところの教訓(真理)に気付かされるだろう。
おい、眠るな。おすすめ度
★★★★★
おい、眠るな。バシッバシッ!(びんたの音)
おい、立つんだ。バシッ!
登場人物の心理描写は原作を読むにしかずといつたところだな。映画では表層的になつてしまふしね。さわ(秋吉久美子)が徳島隊を案内するシーンなんか典型だよ。
「天はわれらを見放した。」
北大路欣也がいい演技してゐますね。確かこの映画が彼の出世作だつたやうに記憶してゐる。
原作と微妙に違う
おすすめ度 ★★★☆☆
公開当時から、リーダーの資質とか管理職のあり方とかの批評が出ていました。たしかにおろかな上司の勝手な行動で青森5連隊は遭難するのだけども、問題はもう一方の弘前31連隊の高倉健演じる徳島大尉の描き方です。原作では彼は行軍を成功させるためには時として非情な行動もとるため、案内人のさわに対しても用事が済んだら隊列の後ろにつかせるような軍人ですが、逆にだからこそ雪中行軍が成功したのだと思います。それが映画では「案内人殿に敬礼!」などと変えられており、まるで人情家なので成功したような描き方です。私は原作を読んでから映画を観たため、この部分に違和感を感じました。
雪山の撮影は迫力がありますが、役者の顔が判別しにくかった。また「砂の器」の続きのように春の景色を無理やり挿入するのも必要ない。「月の砂漠」をモチーフにした音楽などは評価できます。いわゆるオールスター映画ですが、三国連太郎が見事な演技です。主演級では彼だけが髪を短くしてリアルな坊主頭でした。他の役者はスポーツ刈り程度で、森田健作や下条アトムの長髪はありえない。髪を短くするのが嫌ならば、出演しなければいいのに。
結局、撮影や音楽の技術に星二つ、三国連太郎に星一つの評価にしました。
概要
日露戦争前夜、徳島大尉(高倉健)率いる弘前第三十一連隊と神田大尉(北大路欣也)率いる青森第五連隊は、八甲田山を雪中行軍することに。少数編成で自然に逆らわず行軍する三十一連隊。一方、大編成で真っ向から八甲田に挑んだ五連隊は、目的地を見失い吹雪の中を彷徨し、遭難する。
新田次郎の『八甲田山死の彷徨』を、黒澤明の愛弟子で東宝青春映画の旗手として知られた森谷司郎監督が完全映画化。出演者の中に脱走者が出たとも伝えられる極寒の八甲田で長期撮影を敢行し、正に本物の雪の恐怖が観る者に襲いかかる。また、傲慢な上司(三國連太郎が熱演)の采配ミスで部下が四苦八苦する五連隊の構図は、現代サラリーマン社会とも共通するものがあり、当時「洋高邦低」と呼ばれて久しかった日本映画界で未曾有の大ヒットを記録。日本映画の底力を見せつけるとともに、森谷監督は以後超大作監督として大いに名を馳せることになった。(的田也寸志)