「ねじ式」は つげ義春の漫画を読んだ初めての作品である。大学の友人と鈴木清順の映画を見に行った際に 鈴木映画に似た漫画だと教えてもらったのが知ったきっかけである。
今考えてみると 鈴木清順の映画とは 全く似ていないとしか思えない。どちらも好きだがジャンルはぜんぜん違う。但し そんな友人のおかげで つげ義春を初めて知ったわけだ。
この作品は そんな下手な解釈を求めるべきものではないと思う。つげ自身が 自分の見た夢を描いたと言っていたが おそらくそれは本当なのだと思う。僕らが 一種の迷宮である この漫画の中で辿っていくのは つげ義春という一人の人間の「悪夢」なのだ。「悪夢」は時として美しいことも確かである・
表題作だけじゃない。おすすめ度
★★★★★
「ねじ式」がすごい作品なのは、読んだ人の多くはきっと
理解できているはず。
つげ義春氏は「これは私がみた夢を描いた作品です」と
言ったそうだし、多くの人はそう認識しているけれど、
今のオフィシャルHP観てください。
これを「只の夢」というには、余りに計算的で、
余りに作為的で、余りに美しいのです。
敢えて「創り出した」凡そ筋書きのない話に合わせて、
1コマ1コマ独立して世界を為して、完結している。
けれどそれを紡ぎ合わせてタペストリーのように
さらに大きな世界を描きだして、その美しさに
僕らは魅了されて止みません。
けれど、この単行本はそれだけでしょうか。
「山椒魚」「ゲンセンカン主人」をはじめ、
「ねじ式」に固執してレビューを書くのは
余りに寂しい。
いずれの作品も作者が、読者が感じる「生」の不条理や、
空しさや、無機質感を、淡々として描写で、練られた描線で、
描き出されてませんか?
あらゆる話の完成度が高くて、これこそ「珠玉の作品」です。
必読。おすすめ度
★★★★★
ビレッジバンガードの商品紹介ポップにて、「正直つげ読んでないひととは仲良くなれない」というものがありましたが、大いに頷いてしまいます。
もっと言うならば、読後の評価はどうあれ、ねじ式読んで、自分の論が語れず、晴れやかな顔にならないひととは仲良くなれない気がする。
それというのも、この世知辛い時代の日本において、淘汰されがちな、このような繊細かつラフなセンスが見逃されてしまうのは、悲しく思うからです。
幻想ワールド炸裂な、表題作「ねじ式」は万人受けする類のものではありません。
しかしそれにしたって、一般的な場での議論の余地はあるものなのです。それほど強い意味を持っている。
何にせよサブカルチャーの足がかりとしても重要なアイコンであるねじ式。
これを読まずして、語らずして、現代人たり得ぬ、と個人的には思っています。
不合理ゆえの面白さ
おすすめ度 ★★★★☆
ねじ式は、面白いと思う人と、よく解らないと思う人との差が顕著な本だろう。例えばメメクラゲに噛まれて主人公は当然静脈が切断されるわけだが、どうして(当然)なんだ!と思わず心の中で叫ぶこの不合理をそのまま受け入れられない人は面白くないのではないか。個人的にはこの、不合理が違和感なく世界に溶け込んでいることが「ねじ式」の面白さだと思う。これがまたつげ氏の絵とばっちりあって、最高に面白い!主人公の巻き毛までどうしてだ!と思ってしまう。目をつぶって後ろ向きに走っていく列車に乗りながら、ゴッゴゴゴとついたとたんに「アッ!ここはもとの村ではないか」このセリフも最高。しかも着いた場所が村の路地で洗濯物が干してあったりする。それも当然の世界なのだ。