自分の父が別にいると知っていた少年サーシャは、新しい父親代わりの男をパパと呼ばない。しかし、長い間同じ時間をすごすと次第に心を通わせるようになる。その力強さに少年は憧れを抱き、最後には「パパ」と呼ぶ。そのとき、少年は新しい父を自分の父親と認めた。
泥棒の父親は自分には人を愛することができないと思い込んでいるのかもしれない。長い分かれの後、再会した少年を軽くあしらい、自分は夜の仕事に戻ってゆく。少年はその男を殺した。男は母と自分を裏切ったと感じたからだ。しかし、男にとっては自分を殺した少年との出会いが彼の薄暗い人生の中で唯一愛を感じた瞬間だったのではないかと思う。
二人の「瞼の父」を持つ少年おすすめ度
★★★★★
● 鑑賞者の誰もが、題名通り、「パパって、なあに?」と問い掛けられている気分になるだろう。「瞼の父」を二人持つ少年。日本では、‘瞼の母’の話に見られるように、少年の母親に対する思いの深さが賛美されるが、このストーリの背景であるロシア文化では、少年の父親に対する思いが憧れの対象になるようである。但し、その憧れのイメージが壊されたとき、少年のとる行動は、母子別れよりも、苛酷なものになる。この少年が説明しているように、少年の心に、母に対する思いもあるために、より複雑なものになるのであろう。
● 主人公の少年は、気が弱く、何かあると、おしっこを漏らしてしまう。この少年を支えてくれたのが、二人の父であった。戦争で負った傷のために、この少年が生まれる前に亡くなってしまった実父は、哀しいときに下級兵隊姿の幽霊として現れてくれることによって。母親の恋人で、少年が7歳ぐらいのときに、しばらく一緒に旅暮らしをした二番目の父は、敵に果敢に立ち向かっていくことを教えてくれた。初めの父は、顔を知らないので、なんだかぼやっとした影絵のような存在だったし、二番目の父は、‘こすっからい’いかさまペテン師で、どちらも、父としては満足できるものではなかったが。
● 実父の幽霊が現れなくなり、二番目の父を心から「パパ」と呼んだ日、少年は、その父と引き離される。しかし、運命のいたずらか、少年は、この父親と再び出会い、今度は自分の意思で別れを迎える。この二度の別れのシーンはどちらも、観ている者の胸を打つ。
● 舞台は、戦後すぐのスターリン政権下のロシア。このスターリンが良しにつけ悪しきにつけ、人々の生活の中心にあるのが伝わる。雪景色の草原は美しい。雪を見ることが好きな私は、この雪景色のシーンだけで、「観て得したなあ」と思えた。
成長することの痛みおすすめ度
★★★★☆
大戦後のソ連、戦争で夫をなくした若き母と息子サーニャ、あてのない旅の途中で屈強そうな軍人と出会い、母はその男は惹かれ同居することになる。サーニャはタフでどこか悪の雰囲気を持つ男に対して母親を奪われた感情と、不在だった父親的なるものに惹かれる感情という好きと嫌いの両方の感情を持つようになる。しかしやがて男は軍人ではないことがわかって。。。
父親なるものを求め憧れながら、引き裂かれ裏切られてしまい、最後にはそれを否定するという物語によって少年の成長を描くストーリー展開、ラストの哀しさが秀逸。ソ連スターリン時代のロシア人、街並が丁寧に描かれているのも面白かった。