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落城記 (文春文庫 (190‐2))

野呂 邦暢
おすすめ度:★★★★★
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秀逸なる生と死の小説
おすすめ度 ★★★★★

古本屋で買った中の一冊であり、読んだ後は何か心の中でうねっているような感じを持った。私の常の如く、作品の良さを認識するのに少し頭の中での「醸造期間」が必要だったのだ。

 佐賀・西肥前の要衝、諫早(いさはや)に戦国時代君臨した西郷氏が隣の龍造寺家に攻められ滅び行く姿を、梨緒(リオと読むのだろうか?)という領主西郷純堯(スミタカか?)の妾腹の「私」の目で最後まで追った物語である。
 注目すべきは女の目で籠城への経緯、指導層の心の流れ、米味噌の備蓄への関心、女達の後援、農民兵と武将とのやりとりがきめ細かく描かれていることだ。
 後に知ったのだが、向田邦子氏が1981年に「わが愛の城」という題名でテレビ朝日にてドラマ化していた。向田さんが気に入ったのは、男性作家である野呂氏が敢えて女性の視点で眺めたという『挑戦』ではなかったか。

 作中に繰り返される言葉も快く響く。人を呼ぶ時、「イネよい」、返事は「はいさ、御大将」、上官に報告を終える時「よってくだんのごとくなり」。東京生まれの私は西の方言はまったく疎く「そうでごんす」という言い回しがここでも使用されているのは新鮮な驚きだった。標準語の中で作者の故郷で使われているであろう言葉をほどよくちりばめる作風は、私には羨ましく思える。

 兵糧の計算や後ろを守る女達の戦いと心境が描かれるのもめったにないことだろう。極限の状況のなかでそこはかとなく男の目を意識する女中達の心もしっかりと読み取れる。

 領主の末子として生まれるが武辺を嫌い、風流に生きる七郎と梨緒の物語が一つの意外な流れを作っている。最初の描写では戦闘に関心無く飄々としている七郎を梨緒は慕っている。が、城を出ろと命じられ逃亡の最中に、七郎の男として蔑むべく一面を見つけ、梨緒は七郎を殺し城に戻る。
 私は野呂氏のこの挿話の意図が分からない。
 私の読むところでは、野呂氏もやはり場違いな時と場所に生まれた不甲斐ない「男」を嫌っていたのではないだろうか?戦国の時代というのは、ある種の人間にとってその生の意味を全うするにはやはり難しい時代だったのだろう。

 梨緒はかねてから想いを寄せられる服部左内に改めて心を引かれる。平時だったらこうはなるまい。
 最後のたった1ページにこう書かれている。左内に肩を抱かれ梨緒は櫓の上に、左内は寄せ来る敵から櫓を守るために下に降りる。身震いするほど美しいシーンではないか。戦いと死と生を共有するという『美学』がここに成立する。小説とはどこに何ページ書かれているかが問題ではない。熱く読み取る心を持ち、本棚のただの綴り紙にしてはならない。

 南蛮人サンチェスが、最後の攻防の前に逃れる場面も映画にしたら映えるであろう。野呂氏は宣教師であるはずのサンチェスが確かに武人としての訓練を受けていることを示唆している。裏には強大なスペインの軍事力とイエスズ会の物語もあるのだろう。
 サンチェスは緋の裏地のマントを翻し、馬上で両腕を高く上げ、背中で死にゆく侍達に別れの合図を送る。映画にすれば背中がぞくぞくする場面だろう。

 最後に評すべきは農民兵と馬廻り衆の武官とのやりとりである。「農民もこのころは武装していた」という網野史観に違わず、私の考えにも合って納得できる。明日は死ぬかも知れない場合にまだ、土地のことや訴訟の話が飛び出すという百姓のユーモアも空言では無かったはずだ。
 如何にこういう『彼ら』を死地に向かわすか、という武官達の思惑と苦労もかいま見ることが出来る。

 この小説を書評する時に、城中にある楠の老木を引き合いに出すことが多いのだが、私はいっさいそれが気にならなかった。小説の持つトリックと多様性の面白さを感じる。
 私もこういう小説を書きたい。
 よってくだんの如くなり



お姫様の悲恋物語
おすすめ度 ★★★★★

時代小説は苦手なのですが、向田邦子さんの脚本でドラマ化されていたので読んでみたらとってもおもしろかったです。主人公は梨緒というお姫様で、どことなく風の谷のナウシカを思わせる活発な女の子です。最初はなかなか幸せな生活をしていたのが徐々に戦いに巻き込まれていく、というお話。ラストは泣いてしまいました。文体が難しくなく、読みやすいのでお勧めの作品です。


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