現実の歪みがアニメーションの歪みになり、心理のゆれが描線のふるえになります。往診先の近所の子供たちの合唱が美しくも奇怪です。「裸にしちゃえ、そうすれば、きちんと直すだろう。もし直さなかったなら、殺しちゃえ」。原作にもその言葉はありますが。医者が戻る雪原には顔の一部、目や耳や鼻がバラバラになって散らばっています。
山村版には原作にない落ちがあります。医者が戻ってきてもとの家の扉を開くと、人影が雪の上に映るのですが、医者ひとりのはずなのに影は二人になっています。いつのまにか増えた影は医者に寄り添う作者の影でしょう。
怪我を治療し、病気を治すことが医者には期待されていますが、田舎医者にはその能力がありません。医者は仕事から達成感を得ることができずに、実際の傷を前になす術も無く、徒労感を感じます。田舎医者はそもそも呼び鈴に応じたことが間違いだったと出発点に立ち戻って後悔しますが、いまさら後悔しても無駄です。絶えざる不条理の世界を生きる医者の嘆きが浮き彫りになりますが、能無しのスペシャリストに共感を覚えたり、同情したりする人はいないでしょう。スペシャリストの名に値しない“能無し”、それが私たち現代人の顔なのかもしれません。なんと残酷な自己認識でしょうか。
山村アニメーションの大傑作おすすめ度
★★★★★
凄いアニメーションです。私はアニメには詳しくありませんが、アニメーションの歴史の中でも最高峰の一本ではないでしょうか。
これももの凄い描線の多さ。しかも、複雑です。すべて手描きなので、変幻自在に細かく位置を変え、画面が微妙に震え、変形します。手持ちカメラでの撮影で、ピントも移動し、2次元的な移動と3次元的な移動が同時に起こる面白さ。「頭山」からさらに進化してまったく見たことがないような映像になっていました。
一コマずつ細かく動く映像は強烈にフィルムを感じさせ、ゆがんだり膨らんだりする人物や建物はドイツ表現主義を連想させます。原作はカフカなので起承転結のある話ではなく、ブラックユーモアといっても笑えないのですが、とにかく絵の素晴らしさに感嘆しているうちに終わってしまったという印象。
山村アニメーションの特徴は手書きの描線の多さと輪郭の揺らぎですが、それがカフカの原作と出会って最大限に生かされていると思います。
山村浩二は「商売は全く考えていない」と言い切っている人で、この作品も商業ベースでは制作は不可能な芸術でしょう。山村浩二にとって「頭山」を超えて代表作となるだけでなく、日本のアニメーションの代表作ともなる大傑作だと思いました。
正直、話はよく分からない部分もありましたが、ストーリーなど全く分からなくても面白いし興奮しますし、感動出来ると思います。こんなアニメーションの表現があったんですね。電子楽器オンド・マルトノによる音楽も素晴らしいです。
あくまで本編のレビューですが
おすすめ度 ★★★★★
田舎医者はカフカ特有の不条理さが炸裂している彼の代表的な短編の一つだ。しがない田舎医者が自分の労働環境にぼやき、瀕死の少年を眼前に裸になって逃げ出すというストーリーはなんとも現実離れしている。しかし、過労からくるモラルの欠如などは日本の医療現場にも当てはまらないだろうか。カフカの世界が歪んで見えるのは、現実世界そのものが歪んでいるからだ、と思えてしまう。
今回のアニメーション化において目立ったのもこの歪みであり、カフカ独特の不安と緊張感が全編を通して伝わってくる。田舎医者の頭を見れば分かるように、登場人物や背景は極端にデフォルメされ、物語のテンポは変則的でとっぴょうしもない。それに加えて、ぼかしのようなエフェクトが一種の閉鎖感を与えている。アニメとしてはヘンテコだが、カフカの世界が忠実に再現されており、カフカの読者もうならせる仕上がりになっている。
さらに山村氏は映像化するにあたって、いくつか田舎医者の解釈を提示した、と自負している。僕が気づいたのは田舎医者に仕えるうら若き乙女ローザが、原作者にそっくりなこと。美しい鼻筋と太い眉毛にパッチリした目。もうカフカにしか見えない。カフカも若い頃に逆レイプされた、という説があるのでそのへんと関係がありそうだ。
また、それより重要だと思えるのが、美しい傷を持った少年と田舎医者が実はそっくりの顔と体つきをしていること。実際、田舎医者の原作を読む限りは二人に共通する身体的特徴は一切書かれていない。今回、あえて田舎医者と少年をそっくりにしたことで、山村氏は二人の共通点を鮮明に浮き上がらせることに成功している。それはキャッチコピーにあるとおり、「絶望の朝」を二人がこれから迎えることである、と僕は思う。
商品の詳細には21分と書いてあるので心配だが、是非ともメイキングやインタビューも追加してほしい。特典映像追加の願いを込めて星5つ。